休み明けで風邪をひいた。
仕事において、ホウレンソウが大事とよく言われるかと思います。
私は、この相談部分が非常に苦手です。
この人に相談して意味があるのだろうか、ということが多過ぎます。
特に自分の中の着地点がないまま、そんな相手に相談することにあまり意味を見出せません。
でも、伝えること、言うことそのものが大事な時もあるんではないか。
奥さんと排水溝
引っ越した家は、お風呂の排水溝がよくつまる。
きちんと掃除をしているのに、結構な頻度で水が溜まっている。
奥さんは、管理人に文句を言いたい!と意気込んだ。
私は、管理人に文句をいってもどうしようもないのではないか、排水溝に問題があるんであれば、
それこそ大規模な工事が必要になるし、工事なんて現実できではないと思う、と伝えた。
奥さんは、激怒した。
なぜ、私の味方ではなく、管理人の味方になるのかと。
私は、管理人の方をもっているわけではなく、言っても意味がないんじゃないか、といった。
それでも奥さんは怒っていた。
この話は、伝えることに意味がなければどうしようもないのでは、という私の考えと
伝えることそのものに意味があると考えている奥さんの考えの相違から来ている。
奥さん自身としては、私は怒っているということを伝えることが大切であって
そこに結果がついてくるかどうかは二の次なんだろうと思う。
(私は、人に文句を言う事が非常に苦手で、険悪な雰囲気というものが大変苦手であり
下手に文句を言うことで、あの部屋の住人は面倒と思われたくない、という別の理由も存在していたと思う。)
破綻しているプロジェクト
さきほどのケースは男女間の考え方の相違という括りで語ってもよいのだけれども
仕事で配下のメンバーに批判され、年甲斐もなく泣きそうになった。
私はあるプロジェクトの特定領域のリーダーを担っていた。
しかし、このプロジェクトも数ある糞プロジェクトの例にもれず
現状の業務分析ができていない、そもそもやりたいことって何でしたっけ、仕様が決まらない、という悲惨な状況にあった。
プロジェクトのマスタースケジュールも、要件定義工程が1年半以上遅延しているにも関わらず、一向に状況は改善されない。
追い討ちをかけるように実施時期が近い保守案件に人が取られ、プロジェクトの要員も確保できないという惨憺たる状況であった。
私は、状況はもう改善しようがないと見切りをつけ要員や、スケジュールに文句を言う事はやめる事にした。
文句を言ったところで、どうしょうもないのだ。
そんな状況を受け、配下メンバーは私に
- なぜ、要員がもっと必要と強く言わないのか。
- なぜ、スケジュールについて文句を言わずに、黙っているのか。
と事ある度に言ってくるのだ。
形だけでも、上司、プロジェクトマネージャー、ユーザーにキレるべきなんだろうか。
怒って状況がかわるのだろうか。私は迷っている。