子供のころの一人称はなんだったろうかと思い出すと、私は「りょうちゃん(自分の名前 + ちゃん)」であったと思う。
小学校にあがるころには、「僕」になっていた気がする。
思春期まっさかりのころも「僕」だったのだが、まわりの一人称が、徐々に「俺」にかわってくることに違和感を覚えた。
仲のよかった友達のことを「けんちゃん」と私は呼んでいたのだが、気づけばまわりは「西田」と苗字で呼ぶようになっていた。
気づけば周囲は大人への一歩を進み始めていたのだ。
一方、私はこの変化がどうしようもなく恥ずかしく、一人称も他者への呼び方も変えることができなかった。自分の中で、「自分はこういう人間だ」という像があり、そこから外れることはできなかったんだと思う。
さらにいえば、人からどう見られているか、を意識しすぎていたのだと思う。
結局、一人称は「私」「自分」、もしくは極力言わないという今の形に落ち着いた。(社会人になって、上司の前では「僕」を使うようになった。)
こんな状態だったから、当然周りの友人から徐々に下ネタが増えていく流れにも乗っかっていくことはできなかった。
そういった知識がなかったからとかそういうわけでもない。
幼いころから両親や兄弟と洋画を見るのが好きで、当時のホラー映画にカップルがやってるシーンなんて、当たり前のように入っていたし、その意味もわかってた。
また、私が中学に上がる前には我が家にWindows98とISDNの環境が構築され、私は夜な夜なウッホウッホしていた。友人がコンビニでエロ本を買ったと騒いでいる傍らで、ネットにはけしからん画像がいっぱい転がっていたのである。
ここで、ネットで得た知識を駆使して、下ネタの輪に入っていければ多少人生はかわったのかもしれない。付き合う友人というものは、人生に大きく影響するからだ。
とはいえ、一方で暗澹たる歴史を刻むことになる一歩だった可能性もあるわけで、どっちがよかったかはもはやわからない。
「りょうちゃん」は下ネタを言わないのだ。
さて、私の「自分はこういった人間である」という性質は29になる今でも続いている。
私の人生において、この考え方はプラスかマイナスかといえば、マイナスだったように思える。
結局のところ、人にどう思われるのかを意識しすぎているのである。
最近、「嫌われる勇気」という本が話題になっている。まだ読んでいないのだが、読んでみたいと思う。
これを読めばきっと、「ピンキー!おっぱい見せて!」ぐらい言えるはずである。
※ピンキー 「でんぱ組.inc」の青い子
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