豆腐とコンソメ

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もろもろのプログラム勉強記録

アドラー心理学、すべては勇気の問題。でも勇気がない。

日記部分

気分がずっと落ち込んでいる。
仕事中だけだから、鬱とかではないんだ。

今の仕事に対して心からやる気がでない。
それぞれにフォーカスを当てれば、チーム作りだったり開発プロセスの改善だったり、わかりやすいドキュメントの作り方だったりいろいろ学ぶべきものはたくさんある。
ただ、いまの組織に対して、努力の成果を施す気持ちにはちっともなれない。
唯一、配下のメンバー対しては申し訳ない気持ちが日々募る。

組織だけではなく自分もポンコツなのだ。

別の話題。

下請けのシステム屋は、発注側から無理難題を言われるのは日常茶飯事だと思う。
それをいかにコントロールしていくか、というところに手腕が求められ、プロジェクトマネージメント試験なんかでも、スコープを明確にするなんて謳われている。
でも、実態として受注側としては、手戻りが発生しようが、発注側のわがままを聞いてあげたほうが評価は受けられる。
一度決めたはずのルールから逸脱したものを断ると、評価は下がる。
他の会社、部署、担当者はやってくれたのに対応してくれない、と評価される。

誰かが無茶を聞くことでユーザーは横暴になるのである。
だから無理なものは無理と断ることを業界全体でしていただきたい。

でも、市場の考え方でいえば、それも止められないのかな。

本題

アドラー心理学の考え方として、自分の課題と他人の課題を分けるという考え方がある。
この考え方は、革新的なものでもなんでもない。
課題が課題として残ったときに、自分が困らないとしたら、それは自分の課題ではなく他者の課題として見る、という考え方で理解している。
こういった視点でみたとき、今担当しているプロジェクトが失敗しようが、自分が困らない。
自分の評価は下がるかもしれないけれども、会社を辞める予定の自分にとっては、その評価は意味をなさない。
まして、評価があがろうが、下がろうが、給与明細に反映される金額は微々たるものだ。
プロジェクトの成功可否については、自分の課題ではないのだ。
だから、仕事のことで夜眠れなかったり、たまの休日に気分が落ち込んだりするのは本当にもったいないことである。

なんだけれども、職務の責任としては、プロジェクトの成功確率をあげるという役割は多少ともある。
これについて、自分には関係がないこと、といえるのはもうその人の心構え、すなわち勇気の問題である。

自分が辞めた場合、少なくとも数人には迷惑がかかるであろう。
(誰も迷惑がからないとしたら嬉しい反面、存在意義として悲しい)
それを飲み込んだ上で、辞めるという選択肢を取るのは、嫌われてもよいから、自分のやりたいことをやるという第一歩である。

アドラー心理学を扱ったタイトルの書籍が「嫌われる勇気」というタイトルだったけれども、このタイトルがアドラー心理学のすべてを語っているような気がする。

でも、肝心の勇気はどうやったら出るんだろう。

人はどうしたら、壁を越えるのだろう。その手法はアドラー心理学では語られていないと思う。

嫌われる勇気をください。